高校時代、教科を習った先生から、エピソード集

このページは2012年度明善40会同窓会で同級生から披露された
恩師の高校時代のエピソード集である。
高校時代の日記に書き記してあった内容をそのまま書き出したものである。

高校二年生の時の日記の写しですが、これを読んで50年ほど前の私たちが
受けた授業がどのようなものだったか懐かしく思い起こされる方も多々あるのでは。
それではどうぞ日記をお楽しみください。

11月11日
 授業の時間に、フォークダンスがある。おそらく全校生徒が集まってするというのは
明善高始まって以来であろう。これというのも今度の執行委員長のおかげである。彼は
選挙公約の4番目にフォークダンスの励行を掲げていたが、早速約束通り実行に移したの
である。だが、結果がいけない。輪を作ってちょうど始めようとした途端、雨が降ってきたの
だ。雨が降ってはできず、とうとう解散、皮肉にも雨のためにせっかくの試みもダメになって
しまった。
※政治家のでたらめな選挙公約と違って、フォークダンスの実施が公約では
若かったというか純粋でほのぼのとしたものを感じますね!
ちなみに執行委員長は山野澄雄さん(2)でした。(本人より)


11月14日
 英語の時間に8mmの映写会がある。遠足、運動会、Bちゃんの北海道旅行の三本立てで
ある。Bはのんきな奴だ。ブランクはしょっちゅうあるし、たまさか授業があればこんなことをし
て英語は遅れるばかり。でもみんな大喜びだ。
 化学の授業はちっとも面白くない。それで席替えをするから、10分ほど時間を遅らせてくだ
さいと言ったら、いけないというのかと思ったら、「じゃ、30分くらいしてから来る」という。
まさしく、さぼりのズルチンだ。それで30分ほどして来たが、わざと席替えをゆっくりして、とうとう
1時間授業せずにつぶした。
 午後の2時間の工芸も又、又、楽なものだ。カーペン大工もすることがなくて、毎時間簡単な
図形ばかり書かせる。だからいつも2時間の授業が1時間で終わる。書道の授業なんかそんな
ことは全然ないそうだ。
※結局、この日は映写会、席替えとほとんどまともな授業は受けていないようですね。
席替えもどういうルールでしていたか思い出せません。どなたか覚えておられる方いませんか?


11月21日
 それにしても工芸は楽なものだ。今日は版画を彫ることになっていたが、みんなが彫らないで
ボサッと座っているものだから、カーペン大工が「お前たちは何かを食う時だけはすぐ取りつくくせに
こんな時は取りつきが悪いぞ。健康じゃないな、じゃー仕方がない。何を彫るか図書館に行って本でも
見てこい!」という。皆んな、ワアー、と行く。図書館に行っても話ばかりしてどんなものを彫るか決まら
ない。こんな風だから二時間目は、とうとう何もしないで終わってしまう。「今度からちゃんと何を彫るか
決めとかんといかんぞ!今日はもうこれで終わる。」大歓声が上がる。」
※皆様方もこのような思い出があるでしょうか?
それともこの方のクラスがあまり優等生がいなかったのでしょうか?
いえ、日記の主、なかなかの優等生です。(頭がきれます)

12月25日
 課外に出席したが、2時間目のBちゃんの英語の時、一時間目は50人から教室に居たのだが、
皆んな他の組に移って、Bちゃんの英語はたったの9人になってしまう。皆んなよほどBちゃんを好かない
らしい。Bちゃんは大いに腹かき、廊下を行ったり来たりしている。
※それにしてもどの恩師にもうまいあだ名がつきましたね。
先輩方から受け継いでそんなあだ名が呼ばれていたのでしょうね。

11月7日
 せっかくの2時間の実験も何をしたのかさっぱりわからない。2時間遊んでいるのも同然だ。ある奴なんか
めちゃくちゃに薬品を混ぜ合わせ、その中に白墨なんかを入れて子供のように面白いとふざけている。それも
当然だ。本人は実験室にいやしないのだから。あだ名というものは感心するほどよくつけられているものだ。
良くサボるし女に甘いからズルチンだ。
以上3人の先生の授業がどんなものだったか少し思い出されたのでは?

あと二人の別の先生に触れてみます。
 Sさんの世界史の授業は気の毒で見ていられない。いつもペコペコしている。
なぜかというとちっとも知らないからだ。僕も始めは謙遜して、わざと知らないと言っているのだろうと
思っていたが、どうも本当に知らないようだ。よくもまあ、あんなことで先生になられたものである。
今日は、明日模擬があるから自習にしてと皆んなが強く要望したので、自習をすることになった。
本人は「じゃー、1時間退屈だからマンガの本か何か貸してください。誰か持たんですか。えっへっへー!」
といった調子だ。少しどこか抜けているみたいだ。

 Sさんがやっと1か月半ほど前にあった中間考査の社会のテストを返した。来週は定期考査があるので、
切羽詰まった挙句採点したものらしい。「配点を間違えて、最高点が101点になってしまった、
えっへっへー!正解を忘れてしまって、参考書やなんか引っ張り出して正解を出すのに1時間以上もかかった。
全然何も知らんですもんね、まあ、ええや」と何か特別に任務を果たしたかのように、にこにこ笑っている。
※本当にざーとしたものです。

TIKANさん(数学)の授業風景
TIKANさんが、授業の終わりになると、いつも決まってこう聞く「あと、何分くらいあっですかね?」
それで皆んなが本当は7〜8分あるのだが、こう答える「あと1〜2分です。もう終わったです。
先生、やめましょう!」と。今日もそうであった。「ここの1分はえらい長かったですね?」どうした
こつですかね。もう大分経つのにまだチャイムが鳴らないじゃないですか!」と皮肉たっぷりに言う。
皆んな、大笑いだ。「非常に惜しい事ですね。皆さんもまだ勉強したいでしょうけど、残念なことですね。
じゃ、やめましょう。」ざっと、こういう具合だ。
以上、5人の教員の授業風景について日記の中から原文のまま抜き出したものです。
今、この年になって50年前を思い起こすと本当にざっとした教員にざっとした授業だったと
思います。しかし、そのお蔭で今の受験生と違って、とても人間的で楽しい高校生活だったんだなあと
あらためて日記を書き写しながら思った次第です。

私、飯田もBちゃんから英語、化学は飴玉さんに習って物理とともに秀才まがいの素晴らしい点数を
取りました。ただし、他の学科がいけませんでした。皆様方の記憶はいかがだったでしょう?

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